私は神の存在を信じていない、いわゆる無神論者である。欧米のホワイトカラーにそれを言うとリアルに軽蔑されるが、公的文書にもしっかりと「信じている宗教」の欄の最後にある「なし」にチェックを入れている。
世の中の多くの争いは、どの流派の神を信じるかが大義名分のようになっているが、無神論者の私からすると、どうしてもその主張に共感することができず、本音を言うと「すみません、マジで何言ってるかわからないんですけど」という感じになる。

『あなたは何も信じていない。では、あなたの魂はいつ救われるのですか?』と、某会議が終わった後のフロアで大真面目に聞かれたこともある。しかし、私の魂は、救われていないとは感じていないし、むしろこれから行く予定の美味しい焼き鳥屋への期待感で、ワクワクしているところである。
「焼き鳥になる鳥の魂はいつ救われるの?」と逆に聞くと、相手は軽く天を仰ぎ『鳥に魂はないから、救われる必要はない』と言う。「ふむ。日本では八百万(やおよろず)の神と言って、全てのモノに神が宿っていると昔から信じられているよ。川も石コロもバッタも、もちろん焼き鳥もね。」