仙人の祈り

名のない桜

その公園を横切ったのは去年の夏のことであった。

友人が小さなコンペに勝ったことを祝う飲み会があり、数ヶ月ぶりに彼女と顔を合わせた。その後、帰り道がたまたま同じ方向であったため、二人きりで駅の方へ向かって歩いていった。

昼間の暑さも和らぎ、いくらか冷たくなった風が、彼女の美しい髪を少しだけ持ち上げて、また夜へ溶けていった。

その時の彼女は、僕の知っている彼女よりもよく喋った。内定をもらったこと、希望の大手ではないけれど勢いのある会社であること、就活で知り合った大手不動産会社でバリバリ働く年上の彼がいること、箱根に行ったこと。

ただ僕にとって、彼女の言葉は特に興味を引くものではなくなっていた。例えるなら、それは右のドアから入って来て、そのまま左のドアから出て行くだけだった。僕はカウチに腰掛け、まるで無声映画を鑑賞するかのように茫然とその光景を眺め、適当なタイミングで相槌を打っていた。

彼女は空色のロングスカートに白いヒールのついたサンダルを履いていた。そしてひとしきり話終えると、しばらくまた沈黙が続いた。ヒールが石畳の上でカッカッと一定のリズムで音を立ていた。遠くからは夏祭りの太鼓の音が聞こえる。

「そっちはどうなの?」と見計らったようなタイミングで彼女から質問が来た。僕は腕組みして少し考えた後、カウチから立ち上がり、ライブラリーから付箋のついたページを転送していった。

毎日バイトに明け暮れていること、大学は卒業できるかどうかも分からないないこと、就職しないで海外へ飛び出そうとしていること、そんなようなことを話したと思う。

当時はニートだとか中二病だとかという便利な言葉はなかったために、上手く表現できなかったと思うが、要はお先真っ暗であることを素直に伝えた。彼女にとっては新しい話ではなかっただろうが。

「そっか。頑張っているんだ。」
まるで台本をすり替えられた女優のような返事が、彼女から返ってきた。僕はおかしいなと思いながらも、当初の台本のままのセリフを述べた。
「まあね、君ほどじゃあないけどね。」

人には人の価値観がある。同じ映画を観ても、良かったと思うポイントはそれぞれ微妙に違うくらいなのだから、人生における喜びや悲しみは、もっと違っていいはずだ。

僕は彼女の価値観はそれなりにわかっているつもりだが、彼女には僕の価値観は決して分からないということを知っていた。彼女にとって僕は幼稚なままに映るかも知れない。だが、それを自ら否定するつもりも、訂正するつもりもなかった。もう終わった恋なのだから。

公園を抜けると大通りに出た。僕は地下鉄で帰るから、と言って彼女とはそこで別れた。「それじゃあまた。元気でね。」と少し振り向いて声を掛けた。その時初めて気づいたのだが、車のヘッドライトに照らされて見えた彼女の瞳は、今にもこぼれ落ちそうなほどの涙を湛えていた。

僕は少し立ち止まって、軽く頷いてから目線をそらし、背を向けて歩いて行った。その時の僕には彼女のゲームに参加するような余裕がなかった。さっきの台本までのセリフしか用意していなかったのである。僕はやや急ぎ足で、その場から逃げるようして立ち去った。

それから半年経った春の日、僕はたまたま近くで仕事を終え、帰り道に同じ公園を横切った。半年前にはまったく気づかなかったが、その公園には桜の木が一本だけ植えてあり、夜の街灯に照らされて静かにそこに佇んでいた。

桜の木は見事なまでに満開に咲いていたが、誰一人花見客はいなかった。僕は重たい荷物を置いて近くのブランコの囲いの鉄棒に腰掛けて、しばらくそれを眺めていた。

時折吹く春の風は暖かく、まだ微かに冬の匂いを残していた。一つの風が桜の木を通り抜けると、数枚の花びらがヒラヒラと舞い落ちていった。都会の真ん中にあるのに、まるでここだけ時間がゆっくり進んでいるように感じられた。

その桜は、人知れず泣いているようにも見えたし、力一杯に咲き誇り、孤高であることを謳歌しているようにも見えた。

半年前、ここで別れた彼女は新社会人として新しい生活を始めた頃であろう。一方で、学生でも社会人でもない僕は、一人きりで再びこの公園にいた。

分かっている。これからの人生は決して生易しいものではない。それでも、限定された道には、他の人では知ることの出来ない、限定された喜びが待ち受けていることだろう。

「また会いに来るよ。何年後になるかはまったく分からないけれど。」僕は心の中で桜にそう言って別れて行った。それから長い月日が経ったが、僕はまだ会いに行ってはいない。

春が近くなると、今でもふと、遠い地で咲くあの桜の木のことを思い出す。あいつは今、どんな表情で花を咲かせているんだろう、と。

サクラパーク_ニューヨーク
写真はニューヨークのサクラパーク
(2012年春、筆者撮影)


[ 2013/02/03 18:00 ] 雑感 | コメント(4)
えっ!それって失恋なんですか?( ̄◇ ̄;)
きゃツッコミ処満載のアップですね☆彡

私がそんな場面で涙たたえるとしたら、両想いなのに、煮え切らない小松原さんに、バカ!そんな男やめて俺と付き合えよ!好きだと言って欲しかった場合で、
失恋とゆーより、試されただけじゃないですか~
( ̄▽ ̄)

だって私も旦那に、同じように好きでもない男チラつかせて試したコトありますもの。でも、私が好きすぎて耐えきれず自分から折れましたがっっ笑

もーこんなに力つけたのですから、どちらもシングルならGOGOでしょう♪( ´θ`)ノ
…え、余計なお世話でした!?
Σ(゚д゚lll)すみません
[ 2013/02/03 19:14 ] [ 編集 ]
Re: えっ!それって失恋なんですか?( ̄◇ ̄;)
るんさん、コメントありがとうございます。

あくまでも当ブログは、私の脳内で繰り広げられるフィクションですので、「僕」は小松原ではありません笑。
「僕」は若きアーティストであり、恋愛のことは分かっているようでまったく分かっていない草食男子という設定ですかね。将来が見えずに不安定な若者の感情と、桜の儚い美しさが重なって見えたのでしょうね。

しかし優柔不断な奴ですねf^_^;)
[ 2013/02/03 19:43 ] [ 編集 ]
ええっ!フィクションなんですか?( ̄◇ ̄;)
私、自爆しまくりじゃないですか~
( ̄▽ ̄:←単純なもんで
暫く謹慎しないと笑
[ 2013/02/03 21:31 ] [ 編集 ]
Re: ええっ!フィクションなんですか?( ̄◇ ̄;)
るんさん、コメントありがとうございます。

いや〜参りましたね。何というか、フィクションということでお願いします。私の面が割ると、職業柄やりずらくなるので( ´ ▽ ` )ノ

るんさんのコメントには私が一番感謝しているんです。ですので、謹慎などまったく必要ありませんよ( ̄^ ̄)ゞ
[ 2013/02/03 21:43 ] [ 編集 ]
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筆者紹介

check 小松原 周

こまつばら・あまね/ファンドマネジャー・アナリスト
徹底した企業リサーチと業績予想をもとに投資を行う。現役のファンドマネジャーであるため、外部への情報発信において、個別銘柄の投資推奨などは行っておらず、報酬も得ていない。

(会社四季報より引用)

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