砂漠の真ん中で遭難し喉が渇いている旅人に、夢か幻か、冷たい水を売る行商人が通りかかったとする。必死に水を求める旅人に、行商人は無情にもこう言う。「水を売ってあげてもよいが、代わりに貴方の腎臓を一つ頂く。それでもよいか。」
裁定取引が成立しないような効率的な開放経済を論じる時に、教科書ではよく「一物一価」という前提が出てくるが、当然、現実の世界にはいろいろな障壁がありそうはいかない。特にこの旅人と行商人のように、行商人(供給者側)が圧倒的に有利な場合、その価値は等比級数的に吊り上がる。

つまり、価値というのは、その人の状況や価値観に大きく依存しているため、「必ずしも一定ではない」どころか、厳密には「同じ価値は存在しない」と言える。高級マンションに住んで悠々自適なセレブ生活を夢見る人がいる一方で、高級マンションに住むセレブにとっての夢は、丈夫な体で汗水流して働くことかも知れない。この場合はもはやお金では解決できないことろにゴールがあるが。
アインシュタインは相対性理論の中で、この宇宙にあるすべての事象は、それぞれ別の時空の中にある相対的なものであると述べている。経済に関連する学問が実態経済で機能していないのは、未だに机上の市場原理を信奉しているからであって、価値とは常に人それぞれ、相対的なものという前提が必要である。
ファンドマネージャーなどをしている私が言うと説得力に欠けるが、国家経済の究極的な目標が本当に国民の幸せにあるとするならば、それは既存の経済学や市場原理に則った数字で捉えられないところに、答えがあることを認識しなければならない。世界で有数の経済大国になり、日本人は幸福になったかというと疑問が残る。
沖縄県は数字上は日本で最も所得が低く、最新の「日本の幸福度ランキング」でも、堂々の最下位(47位)であったが、お爺ちゃんお婆ちゃんはとても元気で、家族は笑顔に満ちている(美人も多い)。絶対的な数字で表現される沖縄は不幸のドン底にあるかのように見られるが、それが実態を表していないことは明白だ。
「心から暖かい気持ちになって、幸福を感じられる生活」がオークションで取引されているとしたら、その値段はやはり等比級数的なものとなるであろう。それは数字ばかりを追いかけている人々にとっては、どこまで進んでも何故か到達できない、究極のユートピアと言える。
「心で見なくっちゃ何も見えないってことさ。大切なものは目には見えないんだよ。」という言葉はキツネが王子様にプレゼントした秘密であるが、これは現実世界にも通じる真理であるだろう。
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